「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

おじのだいちゃんについて

a0166378_0414839.jpg

先日、といってもずいぶん前に祖母の五周忌の御祭が我が家でおこなわれた。
家族親族が大勢集まり、我が家らしいワイワイとした賑やかしい集まりになった。
仕出し屋にお膳を頼んで、二間続きの部屋の襖を外し、御霊の神棚を前でささやかな宴をした。
皆が食べ終わりそれぞれ思い思いに過ごす中、おじのだいちゃんがめぐりと遊びたいと言ってくれ、生憎の雨ゆえ軒下でシャボン玉で遊んでくれた。
だいちゃんは親父の歳の離れた兄弟で、僕がまだ小さい頃は一緒に寝食を共にしていた。ぼくにとっては親とも違い、叔父というような離れているような感覚でもない、兄というかなんというか兎に角特別な存在。
僕にとってだいちゃんの存在は大きく、小さい頃遊んでもらったりいろんな経験をさせてもらったことが幼少期の自分自身を構成していった大切な要素となっている。

ほんまによく遊んでもらった。紙飛行機。ザリガニ釣り。亀を捕まえたり、走り回ったり。だいちゃんの仕事の合間キャッチボールもしてくれた。勝手に「遊びの達人」とおもっていた。いつも楽しく、いつもわくわく。
よくもあんなに僕の面倒を見てくれていたと驚く。ちいさかった僕をどこまでも受け止めてくれていた。
だいちゃんとお風呂にはいるのが一番楽しかった。
冬の夕暮れに秘密で大きな雪だるまを作ってくれていて、外に呼ばれてそれを見たときの嬉しかったこと。
つっかけを履いた足で扱うサッカーボールの自由な動きを、憧れの眼で追いかけた。
近所にあるだいちゃんの家まで、うちからスケボーで滑り降りていく姿を見えなくなるまで見送ったあの頃。
だいちゃんが結婚をすると知った時の、嬉しさと寂しさの入れ混じった感情もいまだに覚えている。
そして連れて来た新婦のかおりちゃんに、他人に初めて思うような「きれいなひと」という嬉しく恥ずかしく居心地の難しい感情になったことも覚えている。

憧れなのかな。親でもない存在。兄でもない存在。僕の中ではだいちゃんはだいちゃんで、たまらなく好きやった。



僕がよく遊んでもらったこの玄関前の場所。キャッチボールをしたり雪だるまを作ってくれたりした場所で、同じようにいま、僕の娘めぐりと楽しそうに遊んでくれている。
その情景を見た時に、いろんな思い出、驚くほど鮮明で美しいものたちが還ってきた。
めぐりの楽しそうに遊んだり踊ったりしている姿と、同じように楽しそうにしてくれているだいちゃんを見て、まるで小さい頃の自分を見ているような錯覚に入り、なんか、涙が出た。
過去の思い出を別視点から見ているような,幽体離脱しているような不思議な感覚になった。

長い年月の積み重ね。新たな経験をしていく中でも変わることなく在り続ける場所、思い。
だいちゃんは30年前と何も変わらず、だいちゃんやった。
僕自身は変わったと思っていたけど、この情景を見た時に、何も変わっていないと気づいた。
めぐりと同じように、素直な喜怒哀楽の感情のままで生き、あらたな発見や経験にその都度驚いていたんやな。
めぐりがいろいろなことを気づかせてくれる。
あのな〜んにもなかったときのあのころの自分、その延長に今が在る。
逆に原点にこの情景が在る。
a0166378_1291645.jpg


この少しの間の時間が愛おしかった。
ぼくらにだいちゃんがおってくれてほんまによかった。
まためぐりとあそんだってね。
そして、またあそんでやだいちゃん。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2016-08-26 01:44 | 家族 | Trackback | Comments(0)

ひさびさのキャッチボール

a0166378_23242127.jpg

田植えの日は一粒万倍日で、何をするにも何をやり始めるにも良い日とされています。
その日、わざわざ東京から夜行バスに乗って田植えを手伝いにきてくれた悠平氏。
モンゴル時代から共に歩み、共に悩み、共にふざけてきた仲でありまして、事あるごとに大事な時間を共有してきました。
同時に節目節目にキャッチボールもしてきたことが自分の中ではとても重要な行事のようなものに感じていたこともあり、今回もその提案をしまして、奈良の地でキャッチボール。

早朝、人のいない奈良公園で初めてキャッチボールをしました。しかも硬球で。
硬球は重く、指に引っ掛けて投げるのにちゃんとした力が必要。軟球も投げて慣れてこないと思い通りの球をなげれない。
日ハムの大谷君みたいな球をイメージして投げるけれど現実は絶望的な遅さ。


しかしまあ、気持ちがよかったなぁ。
ひと汗かいたな〜。

次の日は田植えによる身体の痛みよりも、明らかにキャッチボールでの筋肉痛が勝っていました。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2016-06-12 23:45 | 日本 | Trackback | Comments(0)

田植えおわった

a0166378_24752.jpg


田植えが無事にすみました。
本当にありがとうございます。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2016-05-28 02:47 | works | Trackback | Comments(0)

輪窯 穴窯焼成 

a0166378_0314397.jpg

1年ぶりに共同の薪窯を焚いた。

久しぶりに炎で泥だらけになるような感覚。
a0166378_0335530.jpg

ずっと火にあたっていると身体も心も燃えるというか乾くというか。
疲れることは疲れるが、疲労困憊というかんじではなく、からだがチカチカする。熱くて強いエネルギーの塊となった窯のそばにいてると徐々に何かが吸い取られていく。

a0166378_037185.jpg

ただの作業という無感覚なことではなく、本当に「寄り添う」「見極める」「読む」といった静かな時間。

静かな時間と雄大な自然と炎のリズム、炎の行く末に心を置いて過ごす。
そのひとときというのはなにか「行」的であるし「道」的でもあるように感じる。

ただ温度計に気をとられるのが不服であります。その行的な時間の流れに「数」が入ってくるのです。
今度は温度計無しで火の色だけ見て焚いて見たい。一人でするときを設けようと思う。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2016-04-13 00:47 | works | Trackback | Comments(0)

さんかく工房 モチーフ室

a0166378_22201931.jpg


ドナテロの何か、枢機卿の肖像らしい
名も知らぬ顔面石膏に17歳の僕は四苦八苦した
初めての石膏、めちゃくちゃ難しいと感じた記憶

最近ようが多くさんかく工房に足を運んでいます
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2016-03-14 22:22 | 日本 | Trackback | Comments(0)

石の上にも三年 旧正月新年 2016年

a0166378_23534525.jpg


石の上にも3分

あけましておめでとうございます。
今年は申年、丙申ですね。ひのえさる、火の兄申です。

流れ的には昨年の我慢停滞、外からの圧力により曲がりそうになるものをぐっと辛抱するという年から、
霧が晴れだすような、実が形を作り出すような、「はっきりと形が見え出す年」だそうです。

自分に当てはめても、確かにそういう流れになりそうというか、やってきていることや思いを持っていることをもう少ししっかりと形にしていくようなことが増えそうな気がいたします。

今自分の関心事ややっている事の意味や意義、初心などに再度思いを巡らせ、
邁進していく勇気を持つ事が大事かなと思う所存。

今年もどうぞよろしく。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2016-02-12 00:08 | 日本 | Trackback | Comments(0)

娘登る

a0166378_073989.jpg

娘アスレチック登る
1歳7ヶ月
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2015-12-30 00:12 | 家族 | Trackback | Comments(0)

娘成長中

a0166378_23515445.jpg


存在がきれい
そこにおるだけで もうきれい
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2015-12-30 00:00 | 家族 | Trackback | Comments(0)

はざかけ

a0166378_0134045.jpg


いろいろな呼び名があるでしょうが、ここらでは「はざかけ」やとおもいます。
これもコツがあり、はざの設置自体が結構慎重でなければならず、むずかしい。重みを考えて中間の支えの高さなどを調整します。
基本は竹でやります。あまりに長かったりすると途中で折れたりするので中間の支えを入れますが、これが高すぎるとシーソーのようになるし、低いと折れたり稲穂が地面についたりします。

縛った稲の束も乾きやすくするために、はざにかけていくときは、二分した稲束を順に前後に振って、稲穂が一連に並ぶのを避けてジグザグになるようにかけていきます。

しばらくかけているとバサッとしていた束も、シュンと乾いて下向きにしぼまって、色も黄金色に。
モミの中の玄米をかんでみて、「カリっ」というくらいに乾いてきたら、はざかけ天日干しの完了の合図です。
このあと脱穀をします。

それにしても壮観。
はざが田に並ぶ景色を復活させたいです。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2015-10-16 00:24 | works | Trackback | Comments(0)

手で稲を刈る

a0166378_2356458.jpg


9月の13日のことですが、無事に稲刈りを終えました。
手で刈るということの大変さを感じながら、でも基本やな〜と心がきれいになっていくような、そんな稲刈りの時間を過ごしました。
友人にお手伝いをいただいて、本当にありがたいです。

手で刈る時、まず感触が気持ちいい。
そして、意外に難しいんです。一束ならすぐですが、段取りも考えると4束くらいまとめでザクザクザクザクといってから地面に置く。切り残しがないように。
うちの田は自然農により、コナギなどの共生植物がたくさんあったため、選り分けるににてこずってしまいました。

人が集まると心強いし、速いです。
僕たちの世代が、ゼロ成長、マイナス成長の循環型社会経済というものの豊かさを証明していくべきやと思う時、いかにナチュラルにあれるか、いかに効率良くエネルギーを使えるかが大事やと思うんです。
その鍵となるのが、こうした「人力」の貸し借りによる、まさに「協力」というものだとおもうし、そうした協力をし合えるような「コミュニケーション能力」が必要なんやろうな、とこういった作業事後に振り返るときに心に浮かんできます。

仲間をつくり、育て、思いやる。自分を相手にあげることで、自分もまたいただける。そんな信頼関係があってこそ、命ある幸せのカタチというものが見えてくるのかもしれません。

とはいえ、、小規模ながらも機械が必要やな〜とおもうこの頃です。
[PR]
# by mongoling-yanwoo | 2015-10-16 00:12 | works | Trackback | Comments(0)