3年ge組

その教室には入った事が無かった。
いつも閉ざされてて、暗い感じだった。

そのクラスの図工の時間が廻ってきて、初めて入ってみると
電気がついてなくて(それが通常)しかも建物の関係上、影になってた。

先生がいない。
他のクラスのときは居て一緒に授業をみてくれる。
どこかにいってるんやろう。
まあいいや。

でもそのせいか、子供達は少し浮き足立ってるというか。

いつも他のクラスなら「日本人の図工の先生」ということで
やたらに興味津々なのに、この子達は少し違うな、と感じた。

しゃべっていても、後ろの方が集中してない。
二人の男子が目につく。

途中で話をやめたりして、なぜ騒いでる?とすこし怒ってみる。

そのときはじっとするが、板書していると後ろで騒いでるのがわかる。

特に集中してないB君。



僕は授業の流れそっちのけで、本題の折り紙をやり出した。
集中してる子としてない子の差がありすぎて、やりにくかった。
だから僕の気持ちも、すこし気持ちも苛ついてたのかもしれない。

後ろはザワザワ。

いつもの感じで進める。
みんな必死に折り方を見る。
こう?こう?
質問する子供達に
いいよ。あってる。うん、よくできてる。

ぼくは笑顔を絶やさない事。
それを大切に、生徒一人一人、見ていく。


B君。
紙を机に置いたまま何もせず、先ほどと同じように周りにちょっかいを出してる。
なんでかな、とそのときわからず、
ぼくは顔が少し曇ってしまったかもしれない。
「やりなさい、どうした? 作ろう作ろう。」


簡単な言葉しか、ぼくは話せない。


斜め前の女子が紙を取って、手伝ってあげようとした。

授業中よく見る、
(できる子が、できない子の分をやっちゃう)
と思い、
「だめだめ、じぶんでやってみよう」
といって、紙を彼に返す。

その時、

一番前に座ってた子が
自分の左手を指差し、
何かを訴える目で首を振った。


すぐさま気づき、B君を再度見ると

頑張っている。

でも、左手がうまく動いていない。



僕はみんなに折り紙指導をしながら、
そっと彼を手伝う。


悔しかった。わからなかった。


彼がなぜそわそわしてるのか、わかった気がした。

彼、授業の中でも特に図工の時間は苦手意識があるのかもしれない。
自分の不自由な手、それが顕著に他の子と差が出てしまう時間。

日々の生活の中でも、友達との遊びの中でも、
他の子とは違う、不自由な左手にストレスを感じるに違いない。
無意識のうちにイライラしたり、
気持ちの向ける場がなく、暴れたり
不安を隠そうと、落ち着かなかったり。

全部、彼が彼自身を表現しようとしていることだろうと、気づいた。
 いや、気づけなかった。

たぶん、彼にストレスを与えてしまった。
日本からわざわざこんなとこまで来て、
子供になんでストレス与えてんねん

と、授業中ながら、思いをこらえた。

B君。
僕は少しずつ手をかしてあげる。
B君は作っている間、誰よりも集中してた。
これは間違いない。
顔が、必死だった。
不自由な手を、頑張って使っていた。

出来上がった折り紙を持ってきて

こう?
と不安なまなざし。


すごい!とってもよくできてる!
じゃあ色もぬっちゃえよ!

その時の彼の顔、
折り紙を見つめる顔は、最高に輝いてた。

走って机に戻って、また頑張って手を使いながら色をぬり出した。
とっても気持ちのこもった作品が出来上がった。

でも自分がなんか、情けなくなった。
こういうことは、よくある話だろう。
そうわかってはいるんやけど、
自分を情けなく感じた。



もう一つ。

そのB君
もう騒ぎ始めてるB君が僕のところにまた来た。

こっち

何だろうとついていくと

一番後ろに座っていたおとなしい二人の女の子

「この子達、できないんだ。」



よくみると、
彼女達が持ってきた紙が、他の子の紙よりも質悪。
道具も、汚れた色鉛筆数本。

たぶん貧しい子なのだと、見た目でわかった。

他の子達は、
「この子達はモーなんだ。」
と普通に言う。

モー(悪い、下手、汚い、だめなど)

子供達の中に、そういう関係、社会を感じる。

小学校時代に、ひとりの友達を
貧乏。といって冷やかした事がある苦い思い出が蘇る。


見回っていたときは、折り紙を隠したりして
何だろ、恥ずかしいんだろうとでも思い、流していた。


さげすまれる日々の中、自然と自己表現を控えるようになった子。

B君が知らせてくれたのだ。


僕がそばに行くと他の子もついてくる。
その女子二人は
いつもの事だからなのか、
ふてくされたか、
なにか諦めてるのか、

ぶっきらぼうに折り紙をカバンの中にしまう。

出来ない。
そうなってしまってる心に少しでも光を、
とおもい、その劣悪な紙で、一番いけてるやつを作ってあげる。

出来上がってくる折り紙に
彼女達の顔に、少しだけ笑顔が生まれた。

その少しの笑顔、ほんまにうれしかった。

黒く汚れた顔だけど、めっちゃ綺麗かった。


よっし、その色鉛筆で模様をつけていっちばん可愛いやつにしよう!

って言って、後は本人にやらせた。




授業の終わり、何人かが、できあがった折り紙を僕にくれると言う。

ありがとう!

綺麗な模様の作品達。

教卓は作品でいっぱいになっていた。
いらんのかなぁ?と思ったりもしたが、
うれしそうにしてたし、
彼らの愛情表現ととらえ、有り難く貰って帰った。

家について作品を見てると、
その中に、一つ
劣悪な紙で作られたものが入ってた。

二人のうちの一人の作品だった。


こっそり、僕にくれたんや。


うれしかった。


もしかしたら彼女はいらなかったのかもしれないけど
もしかしたら、
すこしは嬉しくなってくれたのかもしれない

そう感じた。

ひかえめな、
彼女の表現だった。

その折り紙をみて、涙をこらえれなかった。


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by mongoling-yanwoo | 2010-04-10 15:16 | モンゴル | Comments(5)
Commented by zo at 2010-04-11 00:16 x
ちっさい子らに気付かされることがいっぱいありますね
小学生なんかほんまに意味わからんけど
うーやんみたいに外国でなんかもっとわからんやろけど
子どもの気持ちを一番に考えたいなっていつも思います
「なんでなんかな?」ってまず考えたい
叱らないで、うまいことやってあげたいって思います

B君は「この先生ならうまいことやってくれる」
って思ったんちゃうかなと思いました
だから2人の女の子のこと見てあげてって言ったんちゃうかな
ほんで女の子はうれしかったから
「みんなと同じように」先生にあげたいなって思って
うーやんにあげたんちゃうかな

作品の写真見て、にっこり笑ってしまいました
かわいい
Commented by ucyaaaa at 2010-04-11 08:04 x
いい先生やん
子供って(大人でもか)、言われた一言で人生を変えてしまったりする。
引っ込み思案やった子供が、先生に一言みんなの前でほめられたことで吉本の芸人になったり、その逆もあるんやろう。

今年退官された野村先生が
僕は大学で何も教える事はできないが、生徒の輝かしい芽だけは絶対に積まないようにしよう
と決めて居られた。
本当に僕はのびのびさせていただいたし、悩みながらも未来への気持ちは強いように思う。

B君、女の子たちをはじめ、うーやんに関わった全ての人がそうなったらなー
Commented by pq at 2010-04-12 00:52 x
 夢や希望を与えられたり感じる人が身近にいたり出会えたら、その子の人生を大きくかえてしまう。。 出会うべき人に出会うようになっているのかなぁ。そのタイミングがうまく合った時は 幸運☆
前を向いて歩きたいなぁ。。

私は18歳の時にある人と出会い こんな人になりたいって思えた。
今もまだその人のようになりたいって思う目標があり まだまだ続きます。。。18歳のときと 26歳になっても 同じように私を見てくれる☆
見てくれる人がいることって とっても嬉しいこと。。。
子供は、自分に注目してほしい、見てほしいという思いがすごく強いですね。異国で また生活水準が異なる子供たちに同じように対応するのはとても難しそうです。 頑張ってください。。







Commented by mo00rita at 2010-04-13 03:50 x
「最近の子供(少年少女)は暗い」などと言う言葉をよく耳にします。正直、自分もそんな事を口にしてしまう時がある。
でも実際は大人たちの方が暗いです。そもそも子供を「暗い」なんて言ってしまうこと自体が暗い。

どんな子供でも、未熟で無力で、逆にそれは、この先「今よりも成長していく」未来があるということでつまり、
子供とは「明るい存在」でしかないはずだと思いたいですね。

我々大人は、学べることへの喜びに鈍感になっています。
子供たちは、頭ではなく肌でその喜びを知っているはず。それは日本の子供も一緒やと思う。
それを大人が消そうとしててどうすんねん、やわほんま。

特に結論はないのですが、そんなことを最近よく考えます。

美術や図工、ものを作る時間というのは、作品が成功するとか技術が身に付くとかそんなことは正直どうでもよくて、
「やった、作った、がんばった」が大事。出来上がった作品がそこに存在しているというだけで充分に意味がある。
不器用な子の作った作品を「へたくそやなぁ」と、ニタニタしながら思えるようになりたい。
今はまだ、教え方が悪いのかとか、自分の方のことを先に考えてしまうので。
Commented by mo00rita at 2010-04-13 03:54 x
それから、
うの ケツ IN モンゴルのフォトを見せてもらいました。
外国に行ってこんなことをしてる君がほんまにきもいと思う。そんな後輩がいることをとても誇りに思います。
僕のケツはもうカサカサで、やっぱりもっと栄養を取らないかんなと感じました。

シギさんとは相変わらず楽しい32歳生活をたまに送っていますが、
SHIGIさんはいつまでもあのシギさんなので安心してください。

こちらも今は新年度、新しい生徒たちと顔合わせるのがとっても面倒くさいです。
今までならただ浮き足立っていたこの時期を、敢えてめんどくさいと思う自分も、また少し成長できてるのかななどと感じています。

折り紙の作品、いいですね。
日本にいる僕からすると、モンゴルの子供が初めて(?)作ったもの、というだけでも すごく価値があります。
遠い国でも子供たちは成長してるんやなぁ。
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