安易な価値づけ

a0166378_10125417.jpg

東北から関西へ帰り、以前のようにアートシーンに触れる機会が増えてきた。
新鮮であり、豊かでもある。
しかしそのなかに疑問も生まれてくる。

無価値なものを、利己的な欲求が有意義なほうへとねじ込む。
公的な形式や団体、権利者などがそれを取り上げ評価する。又はわざわざ良い様に評価してもらい、価値あるものへと変えていく。

でもよく見ると、それそのものには実は中身がほとんどなかったりするのだけど、すこしでも語れる余地があれば、
もしくは「アート」などという無敵の衣に身を隠していれば、それはいとも簡単に、評価せしめる舞台へと飛び上がれてしまう。

こういう「なんでもアート、誰でもピカソ」の感じ、人と違う事をしていれば目立ち評価もされる感じ。
表現とか起業とかイノベーションとか、
こういう事の中には「押し売り」や「隣の芝は蒼く見える」という現象に近いものがある。

物好き、オタク、上級者、玄人、的な人やコミュニティの信頼性を悪用して、既成化してしまう。成立させてしまう。

その既成化があらたな便乗者を生み、これらの動向が周りからさらに篤い信頼を得て、小さな「新コミュニティ」ができる。
当事者たちはまるで自分たちが一時代を築いているという自負と気負いを持つようになる。

本質はどこにある、真実はどこにある。

この流れでいいんかな〜。いいんかな〜。
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2013-05-04 10:39 | 日本 | Comments(0)
<< 赤福 表現するということ >>