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おじのだいちゃんについて

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先日、といってもずいぶん前に祖母の五周忌の御祭が我が家でおこなわれた。
家族親族が大勢集まり、我が家らしいワイワイとした賑やかしい集まりになった。
仕出し屋にお膳を頼んで、二間続きの部屋の襖を外し、御霊の神棚を前でささやかな宴をした。
皆が食べ終わりそれぞれ思い思いに過ごす中、おじのだいちゃんがめぐりと遊びたいと言ってくれ、生憎の雨ゆえ軒下でシャボン玉で遊んでくれた。
だいちゃんは親父の歳の離れた兄弟で、僕がまだ小さい頃は一緒に寝食を共にしていた。ぼくにとっては親とも違い、叔父というような離れているような感覚でもない、兄というかなんというか兎に角特別な存在。
僕にとってだいちゃんの存在は大きく、小さい頃遊んでもらったりいろんな経験をさせてもらったことが幼少期の自分自身を構成していった大切な要素となっている。

ほんまによく遊んでもらった。紙飛行機。ザリガニ釣り。亀を捕まえたり、走り回ったり。だいちゃんの仕事の合間キャッチボールもしてくれた。勝手に「遊びの達人」とおもっていた。いつも楽しく、いつもわくわく。
よくもあんなに僕の面倒を見てくれていたと驚く。ちいさかった僕をどこまでも受け止めてくれていた。
だいちゃんとお風呂にはいるのが一番楽しかった。
冬の夕暮れに秘密で大きな雪だるまを作ってくれていて、外に呼ばれてそれを見たときの嬉しかったこと。
つっかけを履いた足で扱うサッカーボールの自由な動きを、憧れの眼で追いかけた。
近所にあるだいちゃんの家まで、うちからスケボーで滑り降りていく姿を見えなくなるまで見送ったあの頃。
だいちゃんが結婚をすると知った時の、嬉しさと寂しさの入れ混じった感情もいまだに覚えている。
そして連れて来た新婦のかおりちゃんに、他人に初めて思うような「きれいなひと」という嬉しく恥ずかしく居心地の難しい感情になったことも覚えている。

憧れなのかな。親でもない存在。兄でもない存在。僕の中ではだいちゃんはだいちゃんで、たまらなく好きやった。



僕がよく遊んでもらったこの玄関前の場所。キャッチボールをしたり雪だるまを作ってくれたりした場所で、同じようにいま、僕の娘めぐりと楽しそうに遊んでくれている。
その情景を見た時に、いろんな思い出、驚くほど鮮明で美しいものたちが還ってきた。
めぐりの楽しそうに遊んだり踊ったりしている姿と、同じように楽しそうにしてくれているだいちゃんを見て、まるで小さい頃の自分を見ているような錯覚に入り、なんか、涙が出た。
過去の思い出を別視点から見ているような,幽体離脱しているような不思議な感覚になった。

長い年月の積み重ね。新たな経験をしていく中でも変わることなく在り続ける場所、思い。
だいちゃんは30年前と何も変わらず、だいちゃんやった。
僕自身は変わったと思っていたけど、この情景を見た時に、何も変わっていないと気づいた。
めぐりと同じように、素直な喜怒哀楽の感情のままで生き、あらたな発見や経験にその都度驚いていたんやな。
めぐりがいろいろなことを気づかせてくれる。
あのな〜んにもなかったときのあのころの自分、その延長に今が在る。
逆に原点にこの情景が在る。
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この少しの間の時間が愛おしかった。
ぼくらにだいちゃんがおってくれてほんまによかった。
まためぐりとあそんだってね。
そして、またあそんでやだいちゃん。
by mongoling-yanwoo | 2016-08-26 01:44 | 家族
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