タグ:文 ( 11 ) タグの人気記事

安易な価値づけ

a0166378_10125417.jpg

東北から関西へ帰り、以前のようにアートシーンに触れる機会が増えてきた。
新鮮であり、豊かでもある。
しかしそのなかに疑問も生まれてくる。

無価値なものを、利己的な欲求が有意義なほうへとねじ込む。
公的な形式や団体、権利者などがそれを取り上げ評価する。又はわざわざ良い様に評価してもらい、価値あるものへと変えていく。

でもよく見ると、それそのものには実は中身がほとんどなかったりするのだけど、すこしでも語れる余地があれば、
もしくは「アート」などという無敵の衣に身を隠していれば、それはいとも簡単に、評価せしめる舞台へと飛び上がれてしまう。

こういう「なんでもアート、誰でもピカソ」の感じ、人と違う事をしていれば目立ち評価もされる感じ。
表現とか起業とかイノベーションとか、
こういう事の中には「押し売り」や「隣の芝は蒼く見える」という現象に近いものがある。

物好き、オタク、上級者、玄人、的な人やコミュニティの信頼性を悪用して、既成化してしまう。成立させてしまう。

その既成化があらたな便乗者を生み、これらの動向が周りからさらに篤い信頼を得て、小さな「新コミュニティ」ができる。
当事者たちはまるで自分たちが一時代を築いているという自負と気負いを持つようになる。

本質はどこにある、真実はどこにある。

この流れでいいんかな〜。いいんかな〜。
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2013-05-04 10:39 | 日本 | Comments(0)

表現するということ

「表現する」ということ
a0166378_1525275.jpg

これは自分自身にも当てはまることですが、
世の中、本当に安易に「表現」できるようになっているのでは、と思います。表現できる場が増えたと言った方が良いのかもしれない。
「今日は◯◯に行った!」「××の△△を食べたけど美味しかった!」「こんなニュースあるよ」
「こんな活動してま〜す!」「自分はいまここにいます!」

みんな表現したがっている。

「表現」が蔓延している。飽和している。
それらの表現のほとんどが個人的な営みであったり、無価値と思われてきたものを再評価したり、新たな発見をしたというものであったり。
しかしそのほとんどが、なにか一定のマニュアル上に乗っとり、“ウケる”方程式で出そうと努力しているか、“自己満足による押し付けがましさ”の見える場合が多い。

なんであれ、テレビやインターネットなどのメディアを“見ていた側”=傍受者の立場 から飛躍し、
“伝えたい!”、“伝える側”=表現者の立場 への転身を図っているように思える。

周囲が様々なことを表現し、宣伝する。楽しんでいる姿、頑張っている姿の前に立たされ続けていると、劣等感が生まれるのかもしれない。
情報が溢れ返るほど多い生活のなかで、「生きている」ということを周りに伝えなければ不安になってしまう。「自分はここにいる!」というシグナルを出さなければ不安なのではないだろうか。

「取り残される。 忘れ去られる。 面白くないやつと思われる。」 

これらの状況に対する畏れ。
これら=死 を意識するからか。

この、自分を見てほしい、知ってほしい、聞いてほしい、欲しい欲しいの欲望ゆえ、
じっくり暖めてから表に出すようなものではなく、安易で思慮に欠け、ただただ自己顕示欲の浮き立つ、泡のような表現が目の前に積み重ね続けられる。と、感じている。



表現とはなんなのか。

僕が目指してきた、学んできた、志してきた表現とはなんだったか。

もっとじっくりと暖め、よく練り、感じ考え、一度わからなくなり、それでも突き動かされる。
そこに美しさや面白さを感じ、どうしようもなくなる。
そうしなければどうしようもなくなる。
言葉では言い表せないくらい、出さなければどうしようもない渾身の一矢。
その時に出てくるものを 「表現する」と言うべきではないか。

このパッションと冷静さと、主観と客観の入れ混ざった、その先に出てくるものには、
その人の本物の「生」があり、「熱」があり、「臭い」がある。
どんなヘタな言葉でも、どんな不器用な技でも、“そうしなければならなかった”という独自性の先に実る結晶には、しっかりとした魅力的な輝きがある。

強い表現、魅力的表現というものだと思う時に共通することは、その人の熱や臭いのするものであったりすることが、僕は多い。
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2013-04-28 16:04 | 日本 | Comments(0)

土着と、つくるということ

a0166378_2045406.jpg

復興にたずさわるお仕事を4月からさせてもらっている。
まだまだ日が浅く、見えてくるものはごく限られた景色でしかないのだろうけれど、そんな日々の中で常々感じることは、

「僕はよそ者である」ということ。

別に差別されているわけでもなく、仲間がいないわけでもなく、とても楽しく刺激的な毎日を過ごさせていただいている。
でもぼくはやっぱりよそ者なんやと思う。外の人や。

これはモンゴル在住中にも感じていたことや。
僕はモンゴルの大地で育ってきていない。モンゴルの風を、体感しただけや。
どう足掻いても僕は日本人である、と常に意識させられていた。(モンゴル人になる努力はしましたし、近づいたけどね)
そしてここ宮城の位置する東北であろうが、九州であろうが、日本であることには変わりがないんやけども、常々このことを感じさせられるのはなぜなのか。
居心地が悪いのか。言葉や文化の違いか。人の違いなのか。

「よその人には、我々の気持ちは分かるまい」というニュアンスをときどき感じる。
それは気質なのかもしれないし、地域性なのかもしれないし、もしかしたらその人々自身の複雑な思いが滲み出ているのかもしれないが、
実際、分からないんだろうと思う。これは事実なんとちゃうやろか。

だって熱意が違う。思いの重さが違う。意気込みが違うって思うもん。

僕は東北人にはなれない。
なぜなら、僕は東北で生まれ育っていないから。
いつもいつも奈良を思い出すねん。
それは僕は奈良で生まれ育っているからや。


周りの人の手助けがいくらあっても足りないほど東北の復旧・復興には時間がかかると思う。
元々「田舎」と呼ばれていたような場所が壊滅してしまった。ここが復興するって、どうなるんかな。

やはり見たこともない、思いもよらない、新しい在り方が必要だし、そうなるべきや。
その未来を皆で創っていくわけやけど、必ず鍵のとなる人がいる。それは地元の人。
その地の担い手はその地の人でなければならないと痛切に思う。
活動先の団体でも口酸っぱくなるほど「住民が主役」ということを唱え、それを旗印に活動している。自分も日々、そう考えれば考えるほど合点がいく。

地元の人々でなければ、その土地の良さは出てこない。

それはその地で生まれた人の「心の原風景」が、まさにその地であるから。
人の個性や素性(identity)は、土着のなかで育まれ、その地の水と風の中でしか在り得ないカタチになっているのだと思う。
時間が育む宿命と言うものではないかな。
そこで生を全うするのが流れやろう。

環境、自然が人の色を決める。
a0166378_2052452.jpg

大学の頃、作品制作をする時に最も考えさせられ、悩まされ、そして熱くなったものが、

「自分の手から自然と生み出されるものとは。そしてその生み出す“自分”を作り上げているものとは」という問い。

自分の手から生み出されたものはどんなものであれ唯一無二であるけど、
少しでも気を抜いたり不安が顔を出すと、どこかで(格好つけ)や(真似っこ)をしてしまう。
ブレるねん。
自己を確り見つめなければ本当のものは出てこない。(そうしなければならないほど、周りは情報に溢れ、自分を埋没させてしまう)

その自己を見つめるとき、当然過去をさかのぼる。家、家族。人、友達。地域、環境。
いろんな要因が絡まりあって今の自分になっていることに気づく。縁がそうさせる。
その地でなければ、その環境がなければ、今の自分はいないんだ。
自分を見つめるとき、地元を見つめる。
地元を愛する心が生まれ大切にしようとすることが、自分を、そして未来の我が子を大切にする心に繋がるのだろう。

愛する心が「つくる」という行為に直接つながるのだと思う。

「つくる」。ものだけでなく、広い意味で「つくる」

愛さなければ、つくれない。

まちづくり などという胡散臭い言葉なんかいらない。
そこにいる人が愛する心で時間や環境や人をつくるねん。
地元は地元の人でなければつくれへんねん。


つくるということはそれほど特別で、土着的で宿命づいたものやと思っている。

a0166378_2053177.jpg



不器用な文になってしまった。
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2012-09-09 03:23 | 日本 | Comments(0)

家族と出会う

首都と住む街を夜行列車で移動する
毎回おもしろい出来事やいい出会いがまっている

雨の降る夏の日、列車の一等車の4人室に入り込むとそこには家族が入っていた
両親に子供が二人、一人は生まれてまだ半年くらいの赤ちゃんやった

僕の見た目がモンゴル人風ではないので、彼らが少し警戒した雰囲気を持ったような気もし、こちらから先に気軽に話しかける 
「モンゴルってとってもさむいですね」
それがきっかけで少しずつ打ち解けられる
彼らのしぐさや振る舞いから、街やゲル地区などに住む人ではなく、完全な遊牧民であることがわかる

話を聞いているとお父さんの人柄の良さにまず惹かれる
街の人にはない、すごくゆっくりとした話し方 太い声に太鼓のようなお腹 体が大きくて頼りがいのあるおとうさん
目を合わせるのが困ってしまうほど、つぶらで純朴な目をされている 
目を合わせて話すのが申し訳ないような気持ちになってしまう
僕が、鍵がかかってると思って開けれなかった窓を「ン〜」っつって簡単に開けてしまう
でもこんなに寒い日になんで窓開けるの?って聞いたら、
「私たちはマルチン(牧民)だよ。あっちの窓も開けて風を通したいくらいだよ」
それを聞いて唸る
遊牧民だけあってやはりこの密室の感じが不快なのかな ずっと外で暮らしてる人は寒さに異常に強いんやろうな 風が好きなんやろうな
車掌さんも驚くほどであった 今日こんなに寒いじゃないの!って

おかあさんもすごい
出発する前からカバンを開けだして、洗濯物を全体に干し始める
一つ一つ手で確かめて部屋の掛けられる場所すべてに干す 子供が機敏に手伝う
雨が降ったからちゃんと乾いてないね〜、なんて言いながら瞬く間に家の中のようになった
自前のポットと器を出しミルク茶を入れて飲む 湯気が立ちのぼる
泣き出す我が子に右乳を出してボフッとくわえさせ授乳する

一つ一つの物を本当に大事にしているのがわかる 子供もゴミをさっと片付けたり拾ったりする
まず物を投げたり捨てたりしない 出たゴミはすぐにまとめられて小さくされている
身につける物で一番大事な帽子は僕の座席の上の一番高いところに大事に置かれてある

子供が本当にいい子やった
10才の4年生を終わったばかりの田舎娘はほっぺたが赤く、よく焼けている
細い体でよく動く 髪を後ろにピチッと縛り上げ、目はアーモンドを思わせる目尻に力のある小さな目
こんな純粋に育つのかと、ほんまに心を揺らされた
父の言うこと母の言うことによく笑い、弟をよくあやす 
小さなことや些細なことは気にしないけど、小さなことや些細なことに楽しさみたいなものを感じているよう
その子は家に日本語の本があるんだよ、と言って少し日本語を話してくれた
他にも色んなことを純粋に学んでいて、そこらへんは両親よりも物知りな様子をみせる
それを両親は優しいまなざしで見つめている


街の子は肌が黒いことを嫌がるし、すこし差別意識もある気がする
肌が白い方がお金持ちとか綺麗とか、肌が黒い人は田舎の子とかゴミを拾う人とか、そんなイメージを持っている
だから肌を焼きたがらない子も出てきてるし、僕の学校でも明らかに牧民の子だと分かる生徒は仲間はずれにされたりもしてる
でも、なんなんだ 肌の色がなんだって思う
こんなに綺麗な10才を僕は見たことがない ほんまに、涙が出るほど美しい 


上のベットでその娘としばらく話をする
世界の話や、昔自分の田舎に日本人二人が訪れたときの話 アメリカ人も一人訪れたことがあるとか
その話を大事そうにしてくれるのがとても喜ばしかったし愛おしかった

下を見るとお母さんはいびきをかいて寝ている 
お父さんは上半身裸で地面に座り椅子を机代わりに、もう眠りかけている
赤ちゃんは凛々しい顔で大の字になってこれも寝ている 
それらの様子を上から二人で見下ろして、娘が僕にクスッと笑いかける
そしてしばらく下を見下ろしていた娘も眠気を誘われて眠りだす
まだ夜の22時半だった
僕もそれに誘われて眠る 深く眠る
その日僕は、これまでにないほど列車の中で熟睡できた
安心して寝れたんやと思う お母さんお父さんのいびきがどんなけ大きかろうと、僕はよく寝た


この電車の中で、ぼくは幸せに出会った
僕が思う、いや世界が理想とすべき家族のかたちと出会った
外国人である僕を優しく包み込むような大きな包容やった

モンゴル遊牧民の大きさ すばらしさ
小さなことや些細なことに幸せを感じ、時間や命を大きくとらえ、現実をしっかり見据える
いい服を着るとか携帯電話がどうだとか、あれが欲しいこれが欲しいとか時間がないお金がない、とか、、
そんなんじゃなくて、
なんていうか、

モノは豊かでないかもしれない けど心は有り余るほど豊かである

目の前にあることを本当のかたちで本当の心で大切に大切にしている そんな生き方

モンゴルの風に吹かれ、しっかりと立っている 生きている

そんなことを感じて胸が熱くなった 痛くなった


モンゴルがたまらなく好きや

夏の間に彼らのいる場所に行こうとおもう
ボルガン県サイハン村まで行けば迎えにきてくれると言う
絶対に行く

また一つ旅が増えた 出会いが増えた





a0166378_214021100.jpg

これは夜行列車の2等車の一コマから
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2011-07-07 23:19 | モンゴル | Comments(4)

真夜中の雨

今雨がふっている

今年はじめての雨が今ふっている

聞き慣れない音で気づいた

窓を開けると、夜の闇に雨の匂いが混じっていた
雨の匂いが好きや

しとしと、ぽたぽた、さーーさーー
何かにあたったり、風が吹いたり、
いろんな音がする
雨の音が好きや

風もしっとりとしている
肌に触れるのがとても心地いい
手を伸ばして雨に触れてみた なかなか冷たい
雨の中にいるのが好きや

ずっと降っててほしいとおもう


昔から好きやった
世界が曖昧になって、境界線みたいなのがなくなる感じが好きや
心が躍ったりするのではなく、心が静かになる感じが良い

昔の頃から、ずっと雨の外を眺めたり、軒下に座って雨の景色を見ていたりしてた



登山中に雨に降られ、木々の間を抜けるように前に進んだ
苔や草花々が嬉しそうに露をまとっているのをみた
ビニルをかぶった体も露に濡れて冷たく、歩くことによる暑さとの差が不思議な感じやった

そうして、静寂な山中をもくもくと歩いていておもった

この鬱蒼とした森のなかで、まるで雨に濡れた僕自身までが溶けてしまったようだ 一体となっていくようだと

本当に森の一部になったような気がした
山の世界の、ほんの些細な一部が、小さな足の生えた些細なものが、ちょろちょろと歩いてそこからあそこへとただ移動しただけに思えた

木や苔と同じ存在になってしまったような気がして、すごく嬉しくなった
心が静かになり、そして洗われたようやった そんな時間と出会った
それ以来、山がとても好きになった



モンゴルではあまり雨が降らない
雨が降るとみんな喜ぶ 
緑が美しくなる 空気がきれいになる 家畜の汚れが落ちる
モンゴル人はみんな雨が好きなようや 
僕も好きである

最近の埃っぽい季節に降るこの雨、 もっと降ってほしいと思ってたら
今、止んだ

ぽとぽとと雫が地面にあたる音だけになった
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2011-04-16 02:52 | モンゴル | Comments(2)

4日連続揚げ餃子

任地エルデネト 日本人はおらんけど、日本に住んでたというモンゴル人は沢山いる
また、日本車に乗っている人が多い 5割程度 他は韓国車、ロシア車など

日本人ということで、しかも最近の僕の露出の多さか、一年以上住んでいるという事の積み重ねか
やたらと初対面の方と会ったり、頼まれ事をされたりしていて、暇があまりない


この前は、日本車の最新LPガスタンクローリーの取り扱いについて翻訳を任された
急に連れて行かれ、極寒の草原に日本のタンクローリー

いや、解るわけないし

説明書もなにやら、事前にあるはずの常識知識を持ちあわせなければ理解しにくい内容
しかもコンピュータ装置によるハイテクな管理が出来る仕組み
専門用語を、知っている限りの簡単なモンゴル語で翻訳
持ち主は聞いてて理解しにくかったやろう
とりあえず説明書の冒頭に、「講習を受けたものか免許のあるもの以外の取り扱い禁止」と書かれていたが、
何回か通って、
タンクローリーからガスを充てん、タンクへのガス受け入れは出来るようになった
極寒やった そこで御礼にということで肉料理をいただいた


別の日、日本語の歌コンクールが首都であるから、練習を手伝ってほしいと音楽の先生(兼歌手)にいわれ
子供に適した歌を10曲ほど選び、全てキリル文字に変換して書き出した
けっこうな時間と労力がいるものである
その子たち(教え子たち)がなんと5人中4人も次回戦に残ってしまったため、
その御礼にとチンギスレストランというところに誘われ、死ぬほどホーショール(揚げ餃子)やその他もろもろを食べさせていただいた
今、次の大会用に4曲選曲して書き出した


別の日、同僚の知り合いの美術教師と知り合いになる機会を設けられた
画家が本業らしく、どうやらエルデネト文化宮殿に属している画家集団のボスらしいことがわかった
ありきたりなモンゴルの風景画だったけど、人がよく、教え子も達者で、肖像画(カートゥーン的)は目を見張るものがあった
アトリエもみせてもらって、その後日本にいる息子とメッセンジャー対談させられた
香川にいるらしく、「僕の故郷と近い」ということを言ったためだ

なぜかその対談の中で、「今度大阪にいくから、色々説明してほしい」とモンゴル語で息子から依頼され、
大阪の事をモンゴルからモンゴル語で、しかもネット回線上では説明しきれず、
まず日本語を勉強しなさい、と言ってしまった

その画家さんの家ではずっとホーショール(揚げ餃子)を食べさせられた
なんかの大会かと思うほど出てきて、数えたら僕は10枚食べていた


昨日、お昼休み時間、小学校の我が準備室にてグッタリと時を過ごしていた
ミッキーマウスってすごいな〜って思いながら、エセミッキーの僕は完全にかぶり物を脱いだ状態でいた

なーんかいい匂いがすると思っていたら、数分後、エンフマー先生に呼ばれ、隣の準備室に入っていくと、
女性先生6人が密室の狭い部屋の中で明かりもつけずに、焼き肉、っていうか焼きレバーをしてた
学校内のしかもこんな狭い部屋で、コンロと鉄板を持ってきて大量のレバーを焼きまくっている女性陣を目の当たりにし、笑わずにはいられなかった

不良やーん

先生たちは「なんで笑ってんねんw?」って言うので、
「小学校んなかで焼きレバーって、僕これが初めてで最後やと思うっす」ていうと
「わっはっはー、モンゴルではそんなん関係ないねんで〜! ほら、脂を食べ!」

脂以外はがっついといた
けど、匂いが他の部屋まで充満しまくってて、
生徒たちがどんな思いでこの先生たちをみているのか気になった

夜は一昨日お土産でもらったホーショールを食べた
実は今日の夜もお土産のホーショールを食べた

モンゴル人の胃腸は、すごい
そしてぼくもモンゴル人らしくなってきている

しかし、しばらくの間は「ホーショールが好きっす」とは言わないようにする

a0166378_0293775.jpg

[PR]
by mongoling-yanwoo | 2011-03-04 02:05 | モンゴル | Comments(7)

願った

僕ができることってとても些細なことでしかない



昨日会議に出席した
日本の授業の様子(算数)を映像で研究、それをモンゴル式に噛み砕いて実践してみたという内容の報告である
映像を見比べると、我が校のソブダー先生 頑張っている

日本の映像は校長の夫が4年前に日本で撮影してきたものらしい。僕は内容を通訳した

そのあとも長々と話し合いや伝達事項が続いた
そのなかで思ったことは、なんか申し訳ない、という気持ち

このめっちゃ頑張っている人達に対して、僕ができることの些細さ。 

通訳も十分できず、研究会の話の中に一石を投じることすらできない
「日本の教育はこんなところを一番大事にしてんねん!準備とかもめっちゃしてんねん!」
とか何でもいいけど自分の意見って、この場で言っても意味がないと思った
この人達の努力の中に僕が力を貸していけることの小ささ


この人達の努力はこの人達自身の苦労で積み上げられて、少しずつかたちを変えていく

ということを目の当たりにして、自分をふりかえった

どんなに派手にボランティア活動しようが地味であろうが、自分がすべきことって、この場所で「一緒にやっていく」ってことに尽きてしまいそうである
もちろん、いろんなアプローチをしていこうとしているものの、共に過ごすということに尽きてしまうのかもしれない


モンゴルは頑張っている
僕はなにかを願うような、寄り添うような気持ちになった



すっかり夜も更けてしまい、学校からの帰り道、ぼんやり考え事をしながら歩く

ふと西の空を見ると雪雲が照らされている
そのあたりに未確認飛行物体が50粒ほど目に入る

6月頃にも同じようにそのようなものが、西の空から飛んで来るのを部屋の窓から眺めてた

それが発生していそうな現場まで足を運ぶ



街の広場に人が集まっている
チベット仏教の僧らが経を唱えている

厳粛な雰囲気の広場で人々が灯籠飛ばしをしているのだった

a0166378_0364187.jpg


話によると、今年冬の冷害などの天災除けを願って灯籠を空にあげているのだそう

去年は冷害によってすごい数の家畜が死に、人も死んだ
遊牧民だけでなくみんなが苦しんだ



とても不思議な空間だった
そこに人の願いが集まって、やさしい空気になっていた


僧らの経は低く響き、時に抑揚をつけていた





ふと、隣にいた女性が一人、灯籠をあげようとしてた

見守った


しばらくして、灯籠は無事にゆらゆらと空に昇っていった
女性は静かに手を合わせ目を閉じ、祈った


とても美しい姿やった


空を見上げると、いくつもの灯籠と粉雪が降っていた
深呼吸をして目を閉じて、僕も願った。冷害がひどくならないよう、願った


胸がズンとして鼻がサイダーを飲んだみたいになって、
なんか知らんけど涙が出た
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2010-12-03 01:57 | モンゴル | Comments(0)

授業中です

こんにちは。
僕はモンゴルの地方にある小学校で図工の授業をしております。
対象は1年生〜5年生です。生徒数は1200名ほどおるんですけど、全員に毎週教えていくのはキツいので、
10月から2校舎あるうちの片方の校舎、半分の600名ほどいるところを中心に教えるようになりました。
それまでは隔週で全部回るようなスケジュールでやってたんですけど、気持ちに余裕が生まれない生活になってたので、
9月はちょっと色々事情があったんですけど、10月から授業数を減らしてもらいました。

それでも週30コマはあって、そのスケジュール渡されたときは、なんでやねんっ!ていうモンゴル語がとっさに出ました。

減らしたくて片方の校舎に絞ったのに、10コマしか減らない。どういう仕組みかわかりません。

僕「自分でスケジュール決めてくから。ね。キツいときは変えてくから。」と強めに言ってみた。
マネージャーは「ボロフグイ〜☆」ダメだよ〜☆って。


何そのおもしろがってる感じ。


そんなかんじで、ぼくはもうほとんど「駒」です。2年間使える捨て駒です。

って思ったときもあるけど
なんだかんだ楽しみながら適当にさぼりながら、
この忙しさの中で自分の役割と居る意味なんかを見つけつつ、
責任感と静かな闘志をもって子供たちと関わっていこうと思っています。


大人はなかなか変わりません。むしろそんなすぐに変わっていくような大人は嫌やわ。気持ち悪い。
こっちで関わる大人のモン人はほんまにピンキリで、
すんごい人(正に偉人)もいればおもろい人もいて、普通の人もたくさんいるし、最悪な人もまあようけいます。
モンゴルの環境社会文化習慣のなかで暮らしてたら「こういう大人になる」んやな〜っていう大人ばっかりです。

そらそうや。

それでいいんやけど、子供に対して思うのは「今の大人みたいになったらあかん」という事かな。
良いところ見習って悪いところは見習わんで、今とは違う、ちょっと成長した面白い大人になってほしい。

「大人より子供が大事や」
そんな気持ちで、授業に入っています。



2年生a組。久々に入る。

「先生ー!これ見て!前描いたやつ!」
授業はとっくに始まってる。 授業中というやつです。

「なになに?どれどれ?   へ〜〜。。」

a0166378_196879.jpg

絵は見たるけど
お前のその右手のものはなんや? マイクか? 授業中ですよ?
どこの歌謡曲の若手歌手やねん ってつっこんでまうよ?


a0166378_1983977.jpg


その後ろのお前も! 二刀流やないか!
時間かかるやないか!下から漏れ出してきとるやないか!


a0166378_191123.jpg

こら、一番後ろのお前っ!!
コーンだけいってあとから中身へいく小さな楽しみ見つけとるやないか!!


a0166378_19142578.jpg


いや、 
んー? じゃないから!!
カメラが不思議かな? なんで撮ってるの? じゃないから!!


a0166378_19181746.jpg

きみ。
完全に心ここにあらずやないか。。

すんごい物思いにふけってらっしゃる。。


a0166378_19224469.jpg

ああっ!!
目が合ってしもた!! なんか逆にこっちが申し訳ない事をした気分。。
見すぎてました。ごめんなさい。。

あの、、あめ、大きすぎひんかな?
30分はかかるやつやんね?


a0166378_19271117.jpg

ハイ、おまえぜったい自分かわいい思てるやろ!!

その んー?? っていうのやめて。

かわいいから。。

授業中やから。。






と、始まって15分ほどクラスのカオスぶりを傍観しながら
逆に楽しんでしまう。

いけません。ちゃんと怒らないと。
でもこれまた微妙でね。モン人先生がちゃんと怒らんから、怒っていいもんかな〜と。

まあたまにはいいかってね。



いやいや、授業しよ。

(この校舎はJICA無償資金協力で3年前ほどに立てられたもので黒板から机いす、充実しておりきれいです。もちろん全ての学校がこうではありません。とりあえず)
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2010-11-27 19:46 | モンゴル | Comments(2)

大相撲

首都に上がったので、ハーン銀行でお金を下ろしに行く


ビルの3階、エレベーター

なかは大混雑 長蛇の列
ホンマに長い
いつになったら整理券のシステムが出来るかな、と考えながら並ぶ


ボクの番
さすが首都、外人への対応がスムーズ

我が街では明らかに戸惑いやめんどくさそうな対応

そういう対応、案外こころにシミとして残っていたりするもんで
銀行に行くのが小さなストレスになっている

ボク、銀行に行くのビビってる




お金は怖い

モンゴル人の目が気になる

後ろからの猛烈なプレッシャー



お金を下ろせて安心し、エレベーターで一階

ドアが開く
一階で数人がエレベーターを待っている


日本やその他のハイソサイエティな国では、中の人が出てから乗り込むのが一般的やとおもう



その数人は中の5人が降りることを待つことなく、乗り込もうとしてくる

競馬の馬のようにゲートが開いたとたん、前に出る

モンゴルでは普通やけど

中にいる人を出してからじゃないと乗れないということよりも
先に乗りたいという気持ちが強すぎて理性が働いていない感じである



ボクはその時、無意識に日本的な感じで先に出ようとしてしまった



そこで前から突進して来たオバちゃんとぶつかり、そのうえカチ上げられた

その時ふっと、大関魁皇の立合いを思い出した

[カチ上げる]→立合いで肩からあたり、腕と肘を使って相手の下顎に。
       そして状態を起こす。(イメージ)




その場ではシレっとやり過ごすが、しばらく歩いてからイラっときた。


ビビっていた自分
安心してしまっていた自分
でかめのオバちゃんのあたりで一瞬エレベーターの中に戻された自分


残念やった


誰か有名な方の言葉で  災害は忘れたころにやってくる って

a0166378_17402657.jpg


心がけようと思う
[PR]
by mongoling-yanwoo | 2010-08-28 17:41 | モンゴル | Comments(2)

青少年活動


僕は任地で活動して数ヶ月。たくさん授業をした。
いい授業もあった。だめだめな授業もした。
でもそれぞれ、様子見ということでいろんな授業を通して、子供を見たかった。先生をつかみたかった。

その結果、子供達も僕に興味を持ってくれるようになってきた。
何かが出来そうな気がしてきた。

でも
でも忙しくて自分自身を少し犠牲にするところもあった。

そのせいか、しんどいと感じた。身体が辛くなる日もすこしあった。


モンゴルの先生に対していい気持ちを持てなくなる日もあった。

なにかがちがう、こうじゃない。

なにかをなんとかしたい。

でも僕が、我を通すことで上手く行くこともあれば、いかないこともある。
なにより、子供達に対してまっすぐ向き合えなくなるのが嫌で

苦虫を噛むように
悔しい思いを殺すような   悶々としていて

そんな日常の中、声が出なくなって参っていた。
授業もおもいきり出来ない。

そんななか4年生の授業が終わって、外に出た。



運動場らしきところで子供達がサッカーしてた。
体育の時間はもうすぎているはずなのに
数人の男子が時間を気にせず汗をかいている。


僕は、その姿に見とれた。
昔を思い出した。
小学生のとき、ぼくこいつらぐらい周り見えてなかった。



迷わず、その中に混じっていった。

歓声で迎えてくれたこいつらの目はとびきり輝いている!

こいつらサッカーに心を燃やしてる

息が切れる
のどにのどが張り付くような感覚
声も出せない
でも笑い声は出る

久々に汗をかいている
苦しいけど気持ちいい

子供達は僕を集中攻撃する。
ぼくはダッシュで逃げる。

気持ちいい


窓から見られていたのだろうか、校長からの電話がなっている。

風邪を引いて学校を休んだ二日後の日である。
そらサッカーなんかしてたら怒られるに決まってる。


ぼくはその電話を無視して、子供と一緒にボールを追いかける


なんかがちがう、なにかがしたい。と思い続けていた最近。
サッカーをしてる途中に思った。


オレがしたかったんはこれや!


こうやって自由に向かって子供と一緒に遊ぶことや。
こうやって直接子供に触れていくことや。

こいつらの未来のために僕らは責任を持って見守っていくこと
こいつらの将来の可能性を摘まないように、いっぱい広げていってあげること

上からの立場じゃない。先生という権力からの教育とかじゃなく、

こいつらと肩並べて前向いて上向いて、思いっきり笑ったり泣いたり考えたり出来ること

こいつらとイッショがいい。


そういう思いを持ってた。。

だから小学校教諭や陶磁器講師じゃなく、

「青少年活動」という職種をあえて選んだ。


サッカーしてて、なにかがわき上がった。こみ上げた。

僕はたいしたことをしたいんじゃない。

ただこれだけのことがしたかったんや。


鉄筋やでかいコンクリがむき出しの、最悪のグランドコンディションの中
こいつらは何も気にすること無く、ボールを追いかけ続けてた。




a0166378_1873718.jpg

[PR]
by mongoling-yanwoo | 2010-05-25 19:00 | モンゴル | Comments(2)